いっぽう、纒向遺跡内でも2009年に、卑弥呼と同時代の最長20m近い大型の建物群が発見された。今度はがぜん纒向に注目が集まる。さらに国立歴史民俗博物館の研究グループが、卑弥呼の墓だといわれる箸墓(はしはか)古墳(向遺跡内)を放射性炭素年代測定法を用いて計測した結果、「箸墓古墳は西暦240~260年の間に造られた」ことが判明したのである。これはまさしく卑弥呼の活躍時期とビタリと一致する。
そこで同博物館の春成秀爾(はるなりひでじ)名誉教授が「この時代、ほかに有力者はおらず、箸墓古墳は卑弥呼が生前に築造した可能性が高い」と断言したのだ。その後も、卑弥呼時代の建物跡や巨大な溝などの発見が相次いだ。この結果、日本史の教科書の記述に変化が表れたのである。

いまも教科書の邪馬台国論争の箇所には、畿内説と九州説が併記されているものの、「最近では、大型建物跡や大溝が見つかった奈良県桜井市
の纏向遺跡の発掘成果や、漢の鏡の出土分布などから、大和盆地南東部がその候補地として有力になりつつある」(『新選日本史B』東京書籍)と表記する教科書が登場し、畿内説が有力になっている。

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