砂浜に立つと、海面から2本の巨大なコンクリート塔が突き出しているのが、数十メートル先に見える。その下には、今も183人の遺体が沈んでいる。

 太平洋戦争中の1942年2月、山口県宇部市沖の海底にあった「長生(ちょうせい)炭鉱」で水没事故が起き、労働者が坑道に閉じ込められた。犠牲者183人のうち136人が、戦時動員された朝鮮人だった。

水非常(みずひじょう)と呼ばれた水没事故が起きたのは、1942年2月3日午前だった。坑口から約1キロの沖合で、坑道の天盤が崩壊。海水が流れ込み、中にいた朝鮮人136人と、広島や沖縄出身などの日本人47人が死亡した。

 犠牲者の遺骨は引き揚げられないまま、戦後に閉山。現場の海面には今も当時のまま「ピーヤ」と呼ばれる2本のコンクリート排気筒が残り、往時をしのばせる。

 しかし、地元選出の林芳正官房長官は今年1月、「埋没位置や深度が明らかでない。調査は困難」と拒否した。80年以上たっても、遺骨に光は当たらないのだろうか。(共同通信=丹伊田杏花)

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