>>292 物を知らないカッペか?
源頼朝はロイヤルファミリーを三河縁故でガッチリ固める計画だったが
義経は頼朝と敵対する、岡崎市の母親の兄貴と繋がりを持ってしまったのが運の尽きだった
頼朝の同母兄弟たる源希義は土佐に流され、現地で敗死したが、次男の希義は頼朝から三河吉良の所領を貰い土佐吉良氏となった
本来なら義経も三河の所領を貰い、ロイヤルファミリー、御一家待遇だったんだがな
平安末期、三河岡崎の矢作に源義経のスポンサーが居たらしく、義経が東国に逃げる途中にそのスポンサーに守り本尊を預けた
預かった守り本尊は長らく妙源寺に安置されていたが、家康がぶん取って、今は東京の増上寺にある
それが増上寺の黒本尊だ
守り本尊製作依頼者は、岡崎市の長瀬八幡宮を開いた源頼義
増上寺黒本尊
製作:恵心僧都源信
所有者の変遷
源頼義
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源義家
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源為義
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源義朝
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平重盛
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平清盛
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常磐御前
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源義経
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明眼寺(現在は妙源寺、三河県岡崎市)
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徳川家康
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増上寺
恵心僧都源信創建、源空寺(三河県岡崎市)、誓願寺(三河県岡崎市)
源頼義創建、長瀬八幡宮(三河県岡崎市)、上の宮熊野神社(三河県碧南市)