九州畿内で論争する必要すらない、魏志倭人伝と記紀照合すればメチャクチャ一致してることが分かる。邪馬台国のことを知りたいなら単純に記紀の崇神紀あたり読めばいいだけ。

6世紀(記紀原資料「旧辞」「帝記」の編纂時期通説)まで邪馬台国のことが伝わっていたとしか思えないほどの一致だよ。


・邪馬台国で卑弥呼に仕える官「弥馬獲支(ミマワキ)」これって「“ミマキ”イリヒコ(崇神天皇)」のことでしょ
実際、崇神も3~4世紀に活躍した人物だと推測されているし

・邪馬台国で卑弥呼に仕える官「伊支馬(“イキマ”)」これって「“イクメ”イリヒコ(垂仁天皇)」の関連人物でしょ

・卑弥呼の後に女王になった「臺与(トヨ)」これって崇神の娘で日本最初の斎王「豊鍬入姫(“トヨ”スキイリヒメ)」のことでしょ

・径100余歩とされる巨大な卑弥呼の墓って『昼は人が造り、夜は神が造る』と評されたほど尋常ではない百襲姫の大市古墳の事でしょ

・魏志倭人伝『卑弥呼が死んだ後に大乱が起きた』これ日本書紀で百襲姫死亡の次の記事にある崇神帝による四道将軍派遣のことでしょ

・魏志倭人伝『倭国大乱を収めるために卑弥呼擁立した』これ流行り病で国民の半数が死んだから百襲姫(大物主憑依状態)を祀ったってのと似てるよね
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