漢委奴国王の金印、意外と小さい!お前らの想像の5倍は小さい [297142216]
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これはホンモノっぽい
中国人コレクター、侵略で失われた文化財を落札
https://www.afpbb.com/articles/-/2295605?pid=2225206
目玉は長さ6センチの「太上皇帝」の白ヒスイ製の印鑑で、1796年に乾隆帝の退位を記念して作成されたもの。中国本土のコレクターが、白ヒスイとしては最高価格を更新する592万ドル(約6億9234万円)で落札し、英仏と戦った第二次アヘン戦争(Second Opium War)で北京(Beijing)市郊外にある頤和園(Summer Palace)から奪われて以来、約150年ぶりに本土へと戻された。
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こっちはやや微妙だが>>487よりはもっともらしい
清朝乾隆帝の個人印、98万ユーロで落札 仏・トゥールーズ
https://www.afpbb.com/articles/-/3144881?cx_part=search
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>>487と同じくらい怪しげ
清の康煕帝の印章、約7億8000万円で落札
https://www.afpbb.com/articles/-/2406036?pid=3041439 >>492
これ見ればわかるけどヨーロッパとの貿易が活発だった清朝時代に皇帝に関する宝物が海外に流出しまくってんだよね
偽物、本物問わず
当時の中国国内にも贋作を作ってそれを市場に流すギルドのようなものが存在していたのが確定してる >>398
またネトウヨのエセ科学的用法かw
組成w >>493
清朝皇室関係の品々は円明園焼き打ちとか義和団の時に掠奪しまくったもんだよ 昔学研の学習にプラ製の付録で付いてきたな
科学に比べて学習はつまらん付録が多かった 古墳から出土してないから偽物って
紀元前なのに古墳なんか作ってる訳ねえだろ頭おかしいんか? 遺構がないから考古学的価値は限りなくゼロ
ま、ぶっちゃけ贋物だろうな この手のスレは面白いんだけど
皇国史観ネトウヨ史観ジャップ史観が入り乱れ来て徐々にカオスになってくるな 金印が使用された痕跡
例えば封泥の欠片の一片でも見つかっていれば話は違ってくるが
そんな事例は一例もない
残念ながら >>502
というか本当に2000年前に送られてるなら
文字の意味は理解できなくても、似たような文字を石碑や土器に刻んで、その碑文が日本のどこかに残っててもおかしくないんだよな
なのに刻印と同じような遺物は他に一切なし
おまけハンコが使用された痕跡も一切なし
これを国宝指定するジャップの愚かさ >>502
抑々日本列島じゃ同時代の封泥が1つも発見されて無いよ >>504
そもそも7世紀までジャップランドに紙の史料一切ないからなw 実用品というよりかは権威の象徴みたいなもんでしょこれ 北部九州では紀元前一世紀頃の硯が出土しているから、文字の使用は部分的に始まっていたのかも
だとしても使ってたのは渡来人だろうけどね >>503
それは漢字を文字と認識してるから出てくる発想であって
文字のない当時の日本では模様と解される以外に無い
そんなわけで真似たり模写する動機が希薄 >>509
金印が送られる遥か前の縄文時代に土器に紋様刻んだり模写したりする知恵はあるのに?
当時、本当に日本から使者が光武帝の所に行って金印貰って帰ってくる知恵があるなら印鑑の文字を真似するくらいの事はできて当たり前なんだよ
文字はわからなくてもあの刻印こそが中華皇帝がお前らの首長を奴国の王だと認めるものなのに 当時だって大陸半島出身の漢字を理解できる人間が日本列島に沢山いただろ
人の交流って驚くほどあったんだぞ
流石に漢字を文様として理解してたは無いわ >>511
じゃあなおさら金印と同じ碑文がどっかに残ってないとおかしいだろ・・・ >>510
いつの時代よ、弥生土器はほぼ無地に近い物
これも踏まえての模様を残す動機が希薄と言ったのだ
> 文字はわからなくてもあの刻印こそが中華皇帝がお前らの首長を奴国の王だと認めるものなのに
だからこの発想がでてくるわけ無いでしょ
奴国の王が金印で威光を示すなら「中国から金ピカの品をもらったぜ!」って見せびらかして終わりだ
その程度の文化レベルだよ >>516
なの国の遺跡と思われる場所から出土したとかならわかるんだけどね
遺跡も何もない、ただの北九州の片田舎の畑から出ましたってギャグとしか >>516
どっちにしろ古墳が作られてたのは奈良飛鳥時代だから
この金印の奴国の頃より大分後だろ >>511
漢字が持ち込まれてすぐの頃は文様だと思われてて
意味とか考えないで甲冑とか土器に刻んでた
欧米人の謎漢字タトゥーみたいな感じ >>520
だったら尚更だよな
金印が持ち込まれた当時も刻印をあちこち刻んで石板や土器に碑文として残ってておかしくないのに
そんなもん今の日本にどこにも見つかってないからね
金印に関しては矛盾点や不明点多すぎて、なぜこれを国宝認定したのか意味がわからない 常識で考えて
邪馬台国=ヤマト国
卑弥呼=日巫女 火巫女 姫巫女
卑弥呼とは、個人の名ではなく、神事を司る巫女のこと
そして当時のヤマトは、すでにして、九州から畿内までの豪族を従える連合国家だった
邪馬台国は、九州か畿内かという問い自体が、ナンセンス
すでにヤマト朝廷があったんやから >>519
古墳は主に古墳時代に作られたんだが
飛鳥時代は一応古墳時代ではあるけれど
原型は弥生時代末期からある
まあこのスレで古墳ガーと連投してるのを相手する必要無いのは同意 そのうち京都の奴等が埋めた親魏倭王印が奈良で発見されるよ 志賀島の金印は、文字の中心線を彫ったあと、別の角度からも「たがね」を打ち込んで輪郭を整える「さらい彫り」という技法が使われています。
一方、この金印とほぼ同じ時期のもので特徴もよく似ているとして「本物説」の根拠の1つとなっている、中国で見つかった「広陵王璽」という印は、
たがねで文字を一気に彫り進める「線彫り」と呼ばれる高度な技法で製作されているということです。
さらに、前漢から後漢の印の多くは1つの線がほぼ均一の太さで彫られているのに対し、志賀島の金印は中央から端に向かって太くなる特徴があるうえ、
印面に対する文字の部分の面積がほかの印と比べて突出して大きいということです。
「さらい彫り」やこうした文字の特徴は江戸時代の印によく見られるとして、
「金印は江戸時代に作られた偽物の可能性が非常に高い」 で、金印と同じ碑文はいったい世界のどこにあるんだ?
まさか、金印は世界に一つしか無いとか思ってないよな? >>526
ガイジ君、薬研彫りをさらい彫りとか言っててウケるw
彫りの事まったく分かって無い証拠を自分から提供するとかまじガイジwww >>4
糸島の神社にかつて金印があったが盗まれたという伝承がある
金印を献上することで褒美を得たかった何者かが盗み出し、
出自を隠すために元の神社とは関係ない志賀島で出たことにして福岡藩に献上したのでは、
という説もあるにはある >>535
薬研彫りは溝の断面の形状から来る彫り方の名称
浚い彫りは文字線の加工技法
分かってないのはお前のほうだぞ >>537
wwww
>文字の中心線を彫ったあと、別の角度からも「たがね」を打ち込んで輪郭を整える「さらい彫り」
はい、これ薬研彫りの事ね
さらい彫りは掘った底の部分をさらうからさらい彫りなwwww >>536
そんな伝承どこにあんだよ馬鹿が死ねや嘘つき >>440
自然由来の不純物だからこそ、その組成が一致したのは何よりの証拠になるんだろw 篆刻の技法が違うって聞いて贋作間違いなしと判断した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています