簡単にいえば、欧州は階級社会であり、日本では貴族(華族)階級がクルマを求める時代に自動車メーカーが立ち上がらなかったという点に尽きるだろう。

 実際、大正天皇の即位時(1912年)に最初の御料車として導入されたのはイギリス王室で使われていたデイムラーであったし、その後はロールスロイスが御料車として導入されている。
さらに1932年(昭和7年)にはメルセデス・ベンツが採用されている。

 一方で、トヨタが最初の量産モデルとなるトヨダAA型を生産しはじめたのは1936年であるが、これは元号でいうと昭和11年。
このモデルは個人所有というよりもハイヤー・タクシーといったフリートユーザーがメインターゲットだった。
天皇家に象徴されるハイソサエティな世界とは縁遠いクルマであったのだ。

 さらにいえば、よく知られているようにトヨダAA型はアメリカ車を模倣して設計された部分が多い。
つまり、アメリカ車のあり方、立ち位置をコピーしたともいえる。
後述するが、こうした姿勢も日本の自動車メーカーが大衆車中心になったことに影響している。

 日本においては上流階級の頂点といえる天皇家が最初に自動車を導入するというときに日本にはまともな自動車メーカーが存在しなかった。
そのため、上流階級は舶来品(輸入品)によって、その立場にふさわしい高級車を手に入れるしかなかった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/56240ee8b3adfb5c46024190493757456e8ef936