【画像】古代杵築大社(出雲大社)復元図がデカすぎる。流石に誇張入ってるだろ [237216734]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
この再現は、どこか大手ゼネコンが技術支援してるんだよね。宇佐八幡も高木を使った再現していたと思う。 >>99
そしてそれは「何度も倒れている」>>84 柱の穴で権威を捏造してたとか?
俺の祖先はこんな建物建ててたんだぞすげーだろっていう
日本人の性質見てるとその可能性感じるよな >>99
2000年(平成12年)、地下祭礼準備室の建設に伴う事前調査に際し、境内からは勾玉などの他、巨大な宇豆柱(1本約1.4mの柱を3本束ねたもの)が発掘された。古代社殿の柱ではと騒がれ、16丈説があたかも確認された事実であるかのごとく報道されることもあった。結局、中世の遺構で現在とほぼ同大平面であり、柱の分析や出土品からも1248年(宝治2年)造営の本殿である可能性が高いと分析されている。
中世の遺構ってだけでべつにとんでもないものが建ってた証拠でも何でもない
現在の建造物と何もかわらないものが当時も建っていた ちな
法隆寺五重塔は1300年前に建立されているため
飛鳥時代末期の「完成された技術」
>>1は
そこから更に数百年後の平安末期ですら
このように>>84「倒れまくっている」ため
寧ろ倒れて当たり前のもので、神事として建ててたんじゃね?と疑われるくらい
未完成の技術
まあだからこそ古代から伝わっていた技術的に未熟な神殿の建て方が
そのまま継承されていたともいえるわけで
平安以前のコレ>>1も古文書通りに存在していた可能性が高いとなるが
それはあくまでも稚拙な技術であり、高い杉の木をもってきて掘っ立て柱形式で組んだだけの
物でしかなかったとしてよいのさ >>107
何か知らんが笑えた
建てては倒れる、建てては倒れる
それ繰り返してたんだなと思うと
古代の人にとっては、そこまでしてでも建て直したい大切なものだったんだろうな >>111
神事の為に建てただけで、別に倒れてもokだったって考えると、そういう線もあるのか あ
この場合の掘っ立て柱は地面に穴を掘らないヤツではなく
縄文時代からある「掘立柱建物」のことね 「雲太、和二、京三」って言われてたから、大仏殿(旧)より高かったのは事実だろ 元々妄想扱いされてたけどなんか柱の痕が見つかってから現実味を帯びてきたんだよなコレ >>26
威厳や神秘性だって民を統治するうえでは実用性といえるだろう わーくには漢字伝来したのも遅いし天皇記国紀のように昔から公文書破棄しまくってるから古代がよくわかんねんだよな >>17
これ見てもさ邪馬台国が奈良にあったなら直接若狭湾に上陸するはずで
北九州に上陸して陸行するわけがないんだよな 48mだった可能性高いと思うがな
耐久性度外視なら古代でもこれを建てることは出来るだろう
だから倒れて残ってないわけだが >>112
神を祀る神殿だからやろ
今でも神神って言って目血走らせてる人もいるんだから
1000年前ならそらそうだろうよ 建築物でいえば
そりゃもう法隆寺五重塔は「設計も構造も現代の木造技術に引けを取らない」
完成された素晴らしいもので
それはもう半島から流入した造船技術が随所に応用された
当時の大陸から半島にかけての最先端技術で建造されたものであるとしてよい
これが西暦700年ごろの話なんで
これは古墳時代を形成した勢力の文明到達度を示す
>>1はそれ以前、古墳時代以前の弥生系勢力が残した文化で
この勢力は列島にやってきた時期は古いが
古墳時代にやってきた勢力と比較すると
「文字文化を列島に定着できなかったほどのバカ」だったといえる
つまり>>1の半島から列島に流入した弥生時代の勢力が底辺層のバカで
あった証拠ともいえる
だからその建造物も掘立柱建物の域を出ることがなく
そんなものは地震が多発する列島内では地震一発で倒壊するため
建てる意味がないが、記紀にもコレの修復を懇願する記述があるように
その時の神事用の建物だった可能性が高い 記紀編纂時に都合の悪い情報を全て焚書やら廃棄やらしたのがまずいんだろうな
宮下文書なんかは偽書とされる反面、内容の一部は古代の出来事の口伝で、史実の部分も含まれると考えてるっぽいし
本当は誰かが「どれが史実でどれが創作なのか」厳密に判定して古代史の再構築をすべきなんだけど
皇室のルートや権力の正当性と絡む問題だけに、難しいんだろうね
古墳をきちんと調査したり、皇室財産で古代史と関連する部分で調査が許可されてないものとかがあればそこら辺を調査するとか
そういう事をするだけでも大きく色々と変わると凝ってありそうな気がするけど(まあ無理だろうけどな) >>99
>>109
やっぱり盛りすぎだったんだな
神社は信用できない
>>124
なんで?当時帯方郡治は半島西部にあったからそっから奈良に行くなら必然九州通るでしょ 倒壊すること前提で無理やり立ててたから平安時代頃までしょっちゅう出雲大社が倒壊したって記録が残ってるし建てるだけなら行けただろ >>132
俺もそう思うわ
メッチャ何回も転倒してるってことはそれだけ不安定な高さだったって事だろうし
>>124
というか、推古治世に難波へやってきた隋の使者も九州筑紫経由していますよ >>132
番組見てたけどその辺の解説はなかったなぁ
むしろ耐震設計でSUGEEEだけだった >>136
掘立柱建築だから別にそんな技術力はいらんだろ 飛鳥時代以降の平安鎌倉期まで>>1が建てられ続けていたのは
記紀に出雲国の伝承を「国引き神話」「国譲り神話」として組み込み
箔をつけたためじゃないかな
ヤマトの勢力、すなわち古墳時代を形成した渡来系の最先端文化を持つ新興勢力が
出雲国のようなそれよりさらに前の渡来系を飲み込んでいく過程で
その伝承も飲み込み、「日本の神話」とした
それで>>1の神事も一定期間まで受け継がれていたと
そもそも帯方郡使は奈良まで行ったのだろうか?私は九州伊都国までしか行ってないと考える
https://i.imgur.com/t8YHxKE.png >>139
稲作が日本に入って来たのは3000年前だから
古墳時代の勢力が渡来系がどうのってのは的外れだろ >>32
格子状に木材を組むことでその問題をクリアしてる。清水寺と同じ構造や >>138
48メートルのもんを安定して立たずには少なくとも10メートルは地中に埋めて固定しないと行けないだろ
58メートルの大木なんて早々ないだろうしあってもその高さのまま切り出すなんて当時の技術じゃ無理だよ >>143
昔は相当デカイ気がボコボコ立ってたみたいだよ
小豆原埋没林とか見てみるとわかる
昔の日本は巨木林の乱立する土地だった
そういえば出雲国造って本貫は東出雲意宇郡で、西出雲の出雲大社とは元々勢力違うよね
彼らが奉じていたのは熊野大社
どこかのタイミングでヤマトと共闘して出雲全域を手中に収めたのじゃないかな >>141
ではなぜ
古墳時代に入るまでの何百年もの間、
日本列島に文字文化が根付かなかったんだい?
例の硯ブームも結局は硯じゃなかったとなり
列島での文字使用環境はまた古墳時代まで逆戻りしているよ >>147
古墳時代と弥生時代の大きな差異は
・文字文化
・古墳文化(前方後円墳の爆発的な拡大)
・銅鐸の消滅
などなど、それはもう全く別の国もしくは全く別の文化を持つ支配勢力の誕生としかいえないものだけど
わかってる? 柱が太かったからって何でその太さで支えられる最大の高さを予想するんだよ
完全に願望だろ
って子供心に思ったな >>131
飢えた倭人千人余りが新羅に漂着したのを保護したりしてるよな。伐休尼師今の時代、西暦193年だから卑弥呼がまだ擁立されてない大乱期か >>148
いや文字と渡来系がどうのって関係ないだろ
3000年前に稲作入って来て
1000年かけて移民もあり自然増もありで人口増えたんだから
古墳時代になって渡来系勢力がどうのなんてないだろ
3000年前から1800年前までの弥生時代なら渡来系勢力が同のって話ならまだわからんでもないが
そもそも前方後円墳なんてあれ大和王権の象徴で渡来系のもんじゃないし 10mくらいならともかく50メートル近い木造建築を当時の技術でとか >>150
こういうの自国の研究者にやらしたらアカン典型やな
こうであってほしい!って願望を叶えるためにどんどん捏造改竄隠蔽していくし
古代中国史とか中国人研究者でなくて欧米や日本の研究者がどんどんすげー発見していくのに それだけの技術が何故一切継承されなかったんだ
出雲は脈々と続いてきたのに 出雲国を記紀の記述からも
島根地方にあった古墳文化以前の有力勢力とするのは自然で
その名残が>>1の掘立柱式建造物であるのならば
それは日本の弥生時代の文明レベルを示すものともいえるわけさ
そしてここから神道を見ていくとき
出雲を語る様々な文献は神道が出雲で花開いた宗教文化であることも
間違いなく、
そうなると神道は弥生時代に列島にやってきた渡来人たちが
日本に持ち込んだ宗教だったとなるわけ
この渡来系弥生人の宗教を
古墳時代の新勢力が「統治に利用した」のではないかと
ここで古墳時代の新勢力であるヤマト政権(現代の天皇家の先祖)が
神道と一体化したのではと >>153
文化文明度で文字文化があるかないかは
現代だと文明にコンピューターがあるかないかぐらい
凄まじい文明度の差だぞ? 現物が残ってるピラミッドやパルテノン神殿の偉大さがよくわかる これ再建しようとならなかったのは
そこまでの権力がなかったから? 一応、当時の文献に東大寺の大仏殿よりでけえって書いてあるからな 杵築神社は捏造だらけで何も信用できない
徒然草でも言ってるように出雲神社は京都の神社だったのに
明治になって杵築神社が出雲大社に改称して奪い取った ゴッドハンドとか公文書捏造とか余裕の民族が昔は違ったはずだ
という前提がもう学問じゃないんだよな >>160
インカ帝国は文字を持たないわけだが…… これ見たけど昔のなんかの書物で一番高いのがここやて書かれてたはず
当時のランキングで一位で二位が東大寺大仏殿
あそこより高いから48mみたいな話やなかったかな
Tverで見られるで 仮に神殿そのものの継続が困難になり失われたとしても
それに類する技術そのものは残るはずだし
他の部分に転用されてるはずだろ
技術というのは単体で存在するものではなく
多くの技術が積み重なって成り立つのに
神殿に関する技術が一切合切消失するなんてあり得るとは思えない >>160
まあ古墳時代のヤマト王権が突然のどこかからの渡来勢力だと思いたいのかもしれんが
それはないだろ
むしろ前方後円墳が証拠になってる
もしもヤマト王権が渡来勢力なら朝鮮半島か中国に日本より古い前方後円墳があるはず
でもないでしょ 初期の天皇が100歳越えゴロゴロいた事になってる国だぞ
もう最初から捏造なんだよ ID:pmuddpQ20
見下した書き方なのに幼いってか内容が無いよな君 ピラミッドが140mだからな
それよりあとの時代だから出来てもおかしくはない >>162
これ>>84読むと
担当部署が混乱したりなんだかんだで
江戸時代には小さくなってるのがわかるよ
金なくなったんじゃね? なんでこれ再建しないの?
いい観光名所になりそうなのに 今と違ってやることねえんだし、これ作ることが生き甲斐みたいな民族だったんじゃね >>180
文献にもあるように倒れるからやろ
明らかに不安定そうやん >>180
材料がない
直径1メートルくらいの大木を3本束ねてやっと一本の柱になる、っていうレベルだから
そんな木材はもうない 平安期に、出雲という遠い地にとても大きな建物があると京で話題になった
伝聞なのでどれくらい大きいかわからない
風土記は当時のエンタメの一つのだったので
相当脚色され貴族を楽しませた
その一環で50メートル近い建物が出来上がってしまった
まあこんなとこだろ >>177
ピラミッドは今作るとしても日本のスーパーマリオクラブでも工期5年で1250億円掛かると試算するレベルの代物やぞ
比べるのもおこがましいわ
これが文化であり文明ってもんだ
仮に48メートルあろうが出雲大社なんて今作っても10億円程度やろ >>172
古墳時代がそれまでの日本の勢力とは
明らかに違った「大陸や半島の高度文明と極めて密接な新興勢力」であり
そこから現代の日本に歴史を語る文字文化も花開いた
これだけわかっていればいいよ
>>1の話でいけば
建築技術の飛躍的な上昇も古墳時代からの日本の特徴
これは百済、高句麗、新羅、そして「大加羅」と列島との人と物の密な
「支配階級の」交流がなければ
不可能なこと 清水寺の基礎から考えてこの組み方やな、からのこのCGやったはずやで
少なくとも研究者の考察やからケンモメンよりは説得力あるんちゃうか
いうて素人やんお前ら >>1
これ昔ムーの特集でもみたぞ
しかも何回もw >>187
お前の妄想じゃんそれ
大陸や半島で日本より古い前方後円墳が出土してから言えよwww >>186
杉の木を使わなくてよくて
10年程度で倒れるものでよいのならば
重機と鉄筋コンクリートで
施工期間1カ月数百万円で可能だよ >>192
前方後円墳の発生が半島があとの話が
俺の話とどうつながるんですか?
更に私は古墳時代の渡来系勢力の列島流入を
最近の遺伝子解析ニュースで埋め合わせることもできますよ >>193
無理だよ
足場代だけで1000万はいくだろ
それにコンクリートは高いんだぞ
流石に無知すぎる >>197
出来るよ
枠くんで鉄筋組んでコンクリ流してそれを
15階建て程度まで伸ばすだけだし >>198
できねえよ
一年はかかるわ
基礎工事だけで2ヶ月はかかるんだぞ頭おかしいんか
ID:pmuddpQ20さんが言ってるのは三段階渡来説でしょう
縄文→弥生→古墳の三段階移民で形成されたのが日本人だとね
https://i.imgur.com/pAjXVQc.jpg ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています