「武士の甲冑」にも正月飾り 愛知・幸田町立図書館

 幸田町立図書館(同町大草)に二十一日、武士の甲冑(かっちゅう)を模した高さ約二メートルの正月飾りが置かれた。来年一月九日まで。...

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参考資料

「決闘裁判 世界を変えた法廷スキャンダル」より

 かれらは、容赦なく闘うだけでなく、規則もなしに戦う。死闘では、友好的な武芸競技大会とは異なり、
背中から刺そうが、かぶとの目のあたりにある隙間から突き刺そうがかまわない。砂をかけて敵の目を見えなく
しようが、敵をつまずかせようが、蹴とばそうが、敵に飛びつき、馬から突き落とそうが、かまわない。
1127年、フランドルでおこなわれた決闘では、闘いに疲弊したふたりの闘士が、ついに武器を投げ出し、
馬から降りると、地面で取っ組み合いをはじめ、たがいに鉄の籠手で殴り合った。そして、最後にとうとう、
ひとりが相手の甲冑の下に手を伸ばし、睾丸を引きちぎり、その場で相手を殺害したといわれている。
騎士道精神は、馬上槍試合ではまだ発揮されていたし、決闘裁判のまえにおこなわれる儀式にも
見られたが、実際に決闘がはじまってしまえば、騎士道精神は消滅するのだった。

ハンス・タールホファーの武術教本より
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マクシミリアン1世の武術試合
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中近世の西洋の武器
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鎌倉武士の戦い方

戦場では、敵、味方相互に対陣しながら鬨(とき)の声をあげ、両軍あい接するや、互いの将は名乗りをあげ、自己の系譜・功名を語る。

この口合戦を皮切りに矢合(やあわせ)となり、以後双方が射戦に移り、機を見て突出し、馬を馳せながらよき敵をさがす。
これに遭遇するや一騎打ちで雌雄を決する。一騎打ちは往々にして組打ちによって勝負を決し、古来、功名の最たるものとされた。
〈将は将をねらう〉、これが少なくとも源平時代の戦闘様式の基本であり、騎馬の士が雑兵の手にかかることは恥とされた。

近代以前の日本の武器
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