『大和魂』江戸時代には存在しない言葉だったか [118990258]
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amb********さん
2023/7/1 9:33
江戸時代の町民っていわゆる大和魂だとか、日本男児みたいなそういう概念ってあったのですか?
おそらく武士階級にはあったかもしれませんが、町民クラスでみると今の日本人のメンタルとそんなに変わらない気がしますがどうなんでしょうか?
みんな毎日を生きて、春を楽しみのんびり平和に生きていたように思えますが・・・。もちろん飢饉や疫病みたいなのが流行ったり、俳句や歌舞伎なんかの町民文化が花開いたりしたものと思えます。
ネトウヨの人が「今の日本男児は大和魂を失った、嘆かわしい」というツイートを見かけました。いまでいう大和魂を一般レベルまで適用させようとしたのって明治時代以降だった気がすします。
そのため長い歴史を見れば大和魂なんて最初からなかった、と言ってもいいんじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。
冷暖房完備さん
2023/7/1 9:58
なかったでしょう。
日本全体をさす「国家」の概念ができたのは明治以降ですし、大和魂云々は昭和の日本軍が利用した概念ですから。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10282255735 今のジャップって明治以降に出来た伝統だらけだからな アメカスや統一教会の操り人形である自民党のケツアナ舐め野郎の分際で保守気取りやってるネトウヨのゴミには大和魂なんて無縁だろ
大和魂みたいなのもキモいけど現実はもっと狂ってたんだから
本当は大和魂なんてものはみんなどうでもよくて毛唐魂とか朝鮮魂とでも言っておけばいいんだよ >>174
日本人妻が韓国に拉致されてんの?それなら拉致問題として既に国際問題になってるはずだけど、そうなってないということは自由意志で韓国に行ったという建前に日韓両国ではなってんじゃないの? 身はたとえ
大和の野辺に朽ちるとも
とどめおかめし大和魂 >>175
かなり貧乏な暮らしをしていたらしいね
あわれにおもった近隣の人が魚や米を寄付していたとかなんとか
それが突然江戸幕府が大政奉還して世界と渡り合う責任者にされたんだから大変だったろうな 日本って意味での大和だろ
近代国家が成立した以降の話じゃないのか 天皇って称号も江戸時代中期に突然大昔こんなの使ってたとかいうことで言い出しているうちに広まっていった称号
どこの馬の骨か本当は分からん奴が養子に入って帝になったころ
南朝しか使わない称号 >>159
戦国時代と江戸時代では武士道もかなり変わってしまってるから >>136
江戸時代の文化は言葉からしてバラバラだったしな
芸術とか共有されてたものもあったから完全に分かれてたわけじゃないけど
今と比べたらそれこそ外国って感覚だっただろう 考えてみると昔の中国人が一番古い大和魂を体現してるんだよね
王朝交代をくりかえして彼らがまなんだのは、滅びない王朝などないということ
異民族であろうが面従腹背して、ときにみずから役人になったりして権力をいいように使い、王朝がほろびたら逃げてしらんふりする
処世術よな >>180
最近の説ではそうでもないけどね
昔は歌詠んで売ってたとか
御所の壁ボロボロのままだったとか言われてるけど
普通に幕府が直してくれてたらしいし
朝廷にも1万石以上割当があって
更に官位を発給する際にも付け届けがあったので実質財政は3万石以上とも
まあそれでも岩倉みたいな貧乏公家がいて
それらの扶養までやってたから、決して天皇も裕福だった訳じゃああるまいが
別段貧困ってほどでも無かったとされてる 吉田松陰の
身はたとい 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂も創作か? あたりまえだろ ナンチャラいうボクサーだろ 流行らせたの >>186
ふむふむ
まあ実際の石高が多いってのは天皇家賢いな
水戸藩とか御三家といわれて見栄はって多めに石高申告したから藩財政は常に厳しくなったとか茨城出身のやつがボロクソにいってた 当時も江戸が一番良いとか言って
大阪や京都とバトルしてそう 武士階級のように国の御恩なんて得たこともない農民を兵隊に取るための洗脳ストーリーね
男子民権だって富国強兵から始まってるんだから >>183
武士が逆らわないように儒学系統の学問の成績を重視したわけだからね
そこで変になっていく
主従関係とか >>190
大阪の兵隊なんか大戦中もわざと負けてたみたいだもんな
敵が大阪の連隊と知ると中国人が喜んだとかなんとか
まさに大和魂
たとえばはだしのゲンの親父はえらいとおもうし学識があったとおもうが大和魂はなかったな 確か平家物語にも太平記にも「武士道」って言葉は出てこないんだよねw
中世には「弓馬の道」という言葉をつかってたわけであるねw 「武士道」も江戸時代にはありませんでした
明治時代になって新渡戸稲造がアメリカに留学中に適当にフカシこいて創作した
中身は完全に儒教道 >>196
そもそも武士って中央アジアからの渡来人説あるしな
武士の守り神である八幡様とはいったいどこから日本にやってきたのか、みたいな話や
相撲の起源とも繋がってくるんだとおもうけど
そしたら本来の武士の道とは刀ではなく「弓と馬」だわな 武士道が後年になって創作された100%作り物の江戸しぐさだって知らん奴結構いるんだな
基礎知識だぞこれ 武士道いうなら天皇に背くなよ...
一番武士がキモかった時代は戦国末期から江戸時代だね
自分らが違法かつ無道、反骨の謀反人であるという事実を忘れた武家共がさも当然とばかりに、武士道とか侍の心得みたいな自己正統化の妄想を逞しくし始める
もうね不快過ぎて...
これで太平記が流行ったり宋学(朱子学)を敷いたり
どこに脳みそ付いてるか分からん矛盾で幕末まで突き進むんだから滑稽
武士に忠なんてもの始めるから合わないんだよ >>202
途中から大半は豪農や豪族、落武者がりで身をたてた親分みたいなのが勝手に独立して武士をなのってただけだから
偽の家系図で源氏の血筋詐称するし、忠義なんつーのは方便にすぎない まだまだ国って言えば地元の地方の事で国土全体を統合した国の意識なんて無いだろ 『江戸時代』江戸時代に存在した言葉だったのだろうか >>206
時系列で「言葉があったかなかったか」の低次元の話ではなく
現代人の想像する「大和魂」のような哲学は本来の過去の日本ではおろかで処世術がないとしてむしろ蔑まれてた
そんなものを薩長土肥に強制的にインストールされて戦争にむかったという歴史は、よりひどくて陰惨なんだよ >>198
鎌倉幕府初代将軍頼朝は元北面の武士であった西行に弓馬の道を教えてほしいと請うたそうで、つまり頼朝ですら弓馬の道は知らなかったわけであるねw >みんな毎日を生きて、春を楽しみのんびり平和に生きていたように思えますが・・・
今の江戸時代はそんなイメージなのか >>202
当たり前じゃん武士が仕えてるのは天皇じゃなくて藩主だし >>210
そのとおり。
現代に置き換えると、広域暴力団の仕組みとよく似てるんだよね。
本家(徳川政権)があり、その下に下部団体(各地の藩)が系列化されている。
日常的には藩の運営はそれぞれの藩主(親分)に委ねられ、武士は藩主に忠義を尽くす。
各藩に所属する武士からすれば、本家の大親分とは直接的に親子の盃をしたわけではもちろんないし、仕えているという意識もなかっただろう。 >>208
坂上田村麻呂からかなり時代が下ってるし、そのころには当初の武士と気風や習俗が相当変質してたりはするだろうなあ
なにしろあのモンゴル帝国すら3代で変質しているわけで 外国の文献見るといまだに武士道が日本の江戸時代の武士の精神的支柱
みたいな描かれ方しててほんと誤解も甚だしいって思う
新戸部の嘘歴史本がいまだに欧米社会は通説になってるのみてると
歴史修正主義の走りみたいなやつだよ、こいつは こう言うの普通に分かるだろ
義務教育の敗北やろなぁ >>202
忠の行き先が天皇じゃなくて藩主(大名)なんだろ
だから忠臣蔵が不自然に持ち上げられる
忠の行き先が天皇ならオカシイことだ >>215
騎士道という言葉も似たようなものかとw
めちゃくちゃやっていた時代過ぎて後から作られる理想の姿 >>217
明治期に散々馬鹿にしてた中国朝鮮の思想を江戸時代の武士はお手本にしてました、とは
口が裂けても言えなかったんだろうな
>>220
騎士道物語の一つであるアーサー王伝説なんかも
サクソン支配からの脱却を目指したブリタニア人の作った都合のいいエセ歴史だし
後世の人間が勝手に先史時代を自画自賛するのは割と世界共通だわ >>208
いや、流石に平家とガンガンやり合ってた義経・頼朝世代が弓馬の道を知らないのはあり得ないだろ…
西行の流派が珍しく研究が必要だったとかじゃないのか。
普通にあったでしょう
それを再発見したのが本居宣長
本来大和魂というのは今で言う女々しい女性的な感情をさす言葉で
その本来の意味が帝国主義によって雄々しいものに曲げられて使われているわけですね >>202
平安時代の公家が陰湿でキモかったんだから仕方ないだろ
今昔物語集を読めば、公家が武士をどんだけバカにしてる無能だったかよく分かる。
明治政府のそもそもの失敗は、天皇に付随する公家を権力に取り込んだところだな。 >>225
平安時代の武士なんてゴロツキや野蛮人に過ぎないからな
現代的に言えば東大卒インテリが反社組織を見てるようなものだぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています