八月、朝廷では張温を車騎将軍・仮節に任じて、執金吾袁滂を副将とし、破虜将軍に任じられた董卓、盪寇将軍周慎らを統率させ、諸郡から集めた歩騎十万人余りの軍勢を美陽に駐屯させ、園陵を守らせた。
辺章・韓遂のほうでも軍勢を美陽まで進め、張温らと戦って勝利した。しかし十一月のある夜、尾が十丈余りもある火のような流星が落ち、辺章・韓遂の陣営を明るく照らして馬を激しくいななかせた。
辺章らは不吉だと思って金城に帰ろうとしたが、それを聞いた董卓・鮑鴻らの追撃を受けて数千人が首を打たれた《後漢書董卓伝》。


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